みなさんはじめまして、泣き虫なゆさんです。
このページでは
「泣き虫なゆさんとは一体何者なのか?」
「なぜブログを開設したのか?」
など、わたしのことを少しお話ししていきたいと思います。
ご興味のある方は、ぜひ最後までお付き合いいただけると嬉しいです。
泣き虫なゆさんってどんな人?
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【名前】:泣き虫なゆさん
【年齢】:1984年生まれ
【出身】:北海道生まれの北海道育ち (地元を愛する道産子です♪)
【居住地】: 東京
わたしの好きなこと
音楽、映画が大好きです!!
感受性が豊かなのか、昔から音楽や映画を楽しむ時間がとにかく好きでした。
歌うことも大好きなのでカラオケも大好き♪
専業主婦になってから、実家に眠っていたアコギを取り寄せてギターの練習もはじめました。
もっと弾ける曲を増やしていきたいなぁ。
あとは食べることが大好きです!
甘いものも辛い物も大好きで、根っからの食いしん坊です(笑)
これまでの職歴
専業主婦になる前は以下の仕事についていました。
・小児科クリニックで医療事務(正社員)1年
・腕時計専門店の店舗スタッフ 6年
・アパレルブランドの店舗スタッフ 1年
・レンタルDVDショップの店舗スタッフ 6年
・内科クリニックで医療事務 3か月
正社員として働いていたのは最初の1年だけで、あとはアルバイト雇用でした。いわゆるフリーターですね(笑)
しかし職業柄、仕事の内容は社員とさほど変わらなかったので、福利厚生もしっかりしていたし充実したフリーター生活を送っていたと思います。
そして転勤がキッカケで上京し、東京での生活は今年で約12年目になります。
現在の暮らし
東京に住むようになってから旦那さんと知り合い、数年お付き合いをしたのち結婚に至りました。
そして今から約9年前に精神疾患(うつ病 → 双極性障害)を発症してしまい、再発をくり返しながら騙しだましな生活を送ります。
しかしコロナ過で症状が悪化してしまい、仕事を続けることが困難になってしまったため、専業主婦として生活することになりました。
紆余曲折ありましたが、現在は子どもを産まない選択をした ”選択子なし夫婦” として、夫婦ふたり暮らしをしています。
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選択子なしになった理由はこちらの記事でお話ししています。
よかったら読んでみて下さいね!
わたしの生い立ち:人生の荒波にもまれる泣き虫なゆさん

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ここからはわたしの生い立ちをお話ししたいと思います。
少しだけお付き合いくださいね。
ごく普通の家庭だと思って育ったのに!?
わたしが育った家庭は、お金持ちでも貧乏でもない、ごく一般的な経済力の家庭だったと思います。
専業主婦の優しい母と公務員の真面目な父、夢のマイホームに住み、ご近所付き合いも良好な毎日。
はたから見れば「幸せな家族」「何も問題のない家族」そう見えていたのではないでしょうか。
しかしわたしにとって家族との時間は、時折息が詰まるほど嫌な空間で、ものすごくストレスを感じる場所に変わってしまいます。
なぜなら両親の夫婦中は暴力こそないものの、子どもの目から見てもとても良好とは言えないものだったから。
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わたしは一人っ子なので、両親がケンカする時は仲裁に入るか、自分の部屋で必死に知らないふりをしてました・・・(泣)
普段は仲のいい家族ですが、それはわたしがいたからこそギリギリバランスを保ってこられたんだと思います。
何不自由なく育ててくれた両親にはとても感謝していますが、その気持ちと同じくらいわたしの心には大きな「しこり」ができていました。
母と娘、そして、ひとりっ子としての責任感が生んだ代償

わたしは母が大好きです。
しかしそんな母に対して、ときに苦しく、怒りに似た悲しい感情が生まれる瞬間があります。
それは、わたしが母の心の受け皿になっていたから。
専業主婦の母はなんでもきちんとする人でした。そして夫婦の問題、嫁姑の問題と、なにかとストレスを抱えていたと思います。
そのため母は娘に愚痴をこぼすことが多く、娘を味方につけたかったのかもしれません。
そしていつからか母と娘の関係は共依存の関係になっていたんです。
結果、わたしは ”母がどう思うか” が基準になってしまい、「母が悲しむ」「母に心配をかけたくない」という考えに縛られると身動きが取れなくなってしまいます。
そして気づけばわたしは自尊心が低く、周りの顔色を伺い行動する人間になっていました。
本当の心を隠してピエロを続け母の束縛に従っているうちに、アダルトチルドレン(AC)になっていたんです。
うつ病発症・・そして双極性障害へ

両親にわたしの事を聞くと口を揃えてこう言います。
「あなたは思いやりがあって優しい子ね」
「小さい頃はわがままも言わず、手のかからない ”いい子” だった」
と。
社会人になって周りの人はこう言います。
「なゆさんは優しくていつもニコニコしてるよね」
「なゆさんって全然怒らないよね。なゆさんは ”いい人”だね」
と。
人の顔色を伺い、他人のため、会社のために行動することが当たり前になっていたわたしは、無理を無理と思わなくなっていました。
人と衝突したり、場の空気が悪くなることも苦手だったので、
「自分が我慢すればいいだけの話。なんなら子どもの頃からやってきたことだし、当たり前のこと。我慢は得意だ。」
とまで思っていました。
しかし人間の心はそんな頑丈にはできていません。
ましてや子どもの頃から痛め続けてきた心は限界を迎えていました。
そして今から約9年前。
突然職場に着くなり崩れ落ちるように泣き出してしまい、上司に精神科への受診をすすめられ、ここから私の精神疾患とのお付き合いが始まります。
自分と向き合い見つけた道

専業主婦になって、病気と付き合いながら生きていくことを改めて決意すると、もっと自分の事が知りたくなりました。
「昔から感じていた生きづらさの原因はなんだろう?」
「どうして自分はこんなにメンタルが弱いんだろう?」
そして色々調べると自分のことが少し分かるようになって来たんです。
- 他人よりも繊細な感覚を持ったHSP気質だったこと。
- 育った環境が原因でアダルトチルドレンになっていたこと。
少しづつ自分を知ることで生きづらかった原因がわかるようになり、いい意味で開き直るようになりました。
「あぁ、今まで我慢しすぎていたんだ。ありのままの自分で生きたいな。」と。
そして一度きりの人生、やりたいことを思う存分できる環境を作ろうと思ったんです。
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これからは、なるべく自分の気持ちに正直に生きていきたいな
こちらも合わせてどうぞ!
現在ブログの他に「もしもし、あのね。~泣き虫なゆさんの心の話」を noteで運営しています。
こちらではわたしの生い立ちを中心に、これまでの人生経験を綴ったエッセイを投稿しているので、よかったら暇つぶしに読みに来てくださいね。
note「もしもし、あのね。~泣き虫なゆさんの心の話」
どうしてブログをはじめたの?

できることなら外で働きたくない!(笑)
独身の頃はバリバリ働く仕事人間でした。
正社員として働いたのは1年だけで、その後はすべてアルバイト契約のフリーター。
しかし職業柄ほとんど正社員と変わらない仕事量と内容で、時には店長の代理で会議に出席する事もあったほどでした。
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バリバリ働く自分はなんてかっこいいんだ!なんて思ってた時期もあったな(笑)
でも正直、多くの人と関わる仕事はHSP気質のわたしには精神的に疲れやすく、電話応対も嫌だったし、クレーム対応なんてもってのほか。
それに昔から虚弱体質だったので体調を崩しやすく、職場に休みの連絡を入れるのがほんとうに苦手でした。つい無理をして限界を越えるまで働いてしまった結果、職場に迷惑をかけてしまうなんてことも…。
だから専業主婦になってゆっくりした生活を送りたかったし、なんなら家で仕事が出来たらいいだろうなぁって憧れていました。
なので、病気で無職になった今が行動に移すチャンスかなと思ったんです。
自分の経験をもとに書いてみたかったから
わたしはここに書ききれないほどの人生経験をそれなりにしてきました。
精神疾患を抱えて生きていく事になって、HSP気質やアダルトチルドレンを知って、自分らしく生きたいと願うようになりました。
すると今までネガティブだった思考や性格が、自分を受け入れることで少しづつポジティブに考えられるようになってきたと思います。
なので今は、自分の経験や思いをもとに書いた記事が、誰かの役に立ったり背中をそっと押せたらいいなと思っています。
最後に

わたしよりツライ経験をしている人はたくさんいるでしょうし、わたしの考えを理解いただけない人もいるかもしれません。
もしかしたら、このブログは自己満でひとりよがりなブログになってしまうかもしれない。
それでもわたしと同じような考えや経験をした人が、少しでも心が軽くなるヒントを見つけられるように、このブログを運営していきたいと思っています。
マイペースにゆるりと更新予定ですが、楽しく生活するためのヒントを探すお手伝いが出来れば嬉しいです。
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みなさん、これからどうぞよろしくお願いします!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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